先日アコースティックライブイベントがあって出演してきた。
終了後の交流会で、出演者のおっさんグループが例によって60〜70年代のフォークソングを延々とやるわけだよ。その上みんなに歌わせようとする。これ交流会だろ? そういうノリは内輪の打ち上げでやってくれと。
自分たちが楽しければ他人も楽しいはずだという無邪気な思い込み。じつに団塊的な共同幻想。そこに悪意はない。それだけに質が悪い。
人前で音楽を演奏するということにはある種の強制力が伴う。そのことに対して音楽家はきわめて注意深くなければならない。それができない人間に音楽をやる資格はない、とまでは言わない。アマチュア愛好家の集まりでそこまで厳しいことを言って場をしらけさせる、それもまた非音楽的な行為だと思うから。
だがそんなシビアな話以前に、40年前の青春を恥じらいもなくひけらかす感性がそもそも音楽的じゃない。あれが団塊世代リア充なんだろう。僕の父は死ぬまで和製フォークソングを軽蔑していた(井上陽水などごく一部のものは聴いていたが)。おそらく父と反りが合わなかったであろうあの種のおっさんたちを見ると、その気持ちがよくわかる。
生きた音楽は変化していくものだ。時間の止まった音楽は死んでいる。