幸福には祝福されやすいかたちと、祝福されにくいかたちがあるらしい。
世間の常識的な価値観にのっとった定型の幸せはわかりやすい。いくら自己喧伝しても許されるし、祝うほうも安心して祝える。
他方で定型からはみだした選択をした個人に世間の風は冷たい。いや、冷たいのではなく、どう扱えばいいのかわからないのかもしれない。マイノリティを疎外するのは多くの場合善意の人たちだ。
僕自身は自分で選んだことについて他人からどう扱われるかはわりとどうでもよくて、幸せだとか不幸だとかはこっちが決めることだから、というくらいの距離を持っておきたいと思う。
とはいえいくら定型に興味のない生き方をしていても、定型への参加は求められるわけで、どうでもいいのになあと思いつつも、さりとてその純粋な祝福の気持ちに水を差すのもはばかられ、出すものは出して距離をおくのである。
こういうところが生きづらい人の世だなあと感じているのである。