現代アートという恣意的なゴミ

「風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから」という展覧会のチケットをもらったので行ってみた。
現代美術という世界ではゴミにタイトルを付ければアートになることは知っていたが、今回あらためて展示されたゴミは所詮まがいもので、ありのままのゴミの美しさにはかなわないことがよくわかった。
すみません、僕は別に批判ばかりしたい人間ではないのですよ。ただあまりにもひどかったので。
囲いの中に生きたリクガメを放しているインスタレーションがあったんです。まあカメだから当然かわいい。それだけでこの作品は半分成功してる。しょうもない箴言めいたテキストが書いてあったが、誰もそんなもの見やしません。ここまではよかった。
そのカメが、囲いの中と外をつなぐ3段ほどのステップを登りはじめたんです。うんしょ、うんしょと。そりゃもう萌え死にしそうなくらいかわいかったんです。2段目にたどりついたとき、係の人がカメを持ち上げて囲いの中に戻してしまいました。
なにをすんねんと。
僕は質問しました。「なぜ元に戻すのですか?作品に手を加えていいんですか?それともこれは作家の意向なのですか?」
作家の意向だそうです。出たらけがをするからだそうです。
全然わかっとらんな。
この作家はカメの越境という最高にスリリングなイベントをみすみす見逃してるわけだ。
カメが脱走できるような構造で作品として提示した以上、そこで起こるアクシデントも作品の一部として内包すべきだろう。逃げられて困るなら最初から脱走不可能な構造にしておくべきだ。あるいは逃げたカメを人の手で元に戻すというイベントを含めた作品なのだと解釈しても、戻し役の人を作品内に配置したり観客を巻き込むなどの仕掛けを作らず、美術館の係の人に任せている時点で成立していない。
最悪、カメが逃げ出して死んでしまってもそれが作品だというなら僕は認める。同義的に許されるかどうかはまた別の問題で、おそらく僕は許さない。だがアートのモチーフとしてそれは認める。議論を巻き起こすのもアートの役割のひとつだから。
それくらいの覚悟もなしに生き物の力を借りるなよと思う。